いのちの学校を目指して

「いのちの学校」、そんな整体院を目指しています。

いま、いのちについて、横断的、全的に学ぶ場所が、見当たらない。
そのため、いのちの重さがどんどん軽くなってしまっている。
そんな気がしてならないのです。

薬ひとつで、病気を治そうとする。
手術や注射で痛みが取れれば、よしとする。
弱いものを、いじめる。
挫折や絶望すると、自らいのちを絶つ。
動物や他の生物のいのちを軽んじる。

すべて、同根。
いのちが何たるか、それがわかっていない。
考えたこともない。
だから、社会全体が歪み、殺伐としてくるように思えます。

学校の授業は、生物、保健体育、道徳、倫理、哲学などと分断されています。
そもそも学校の授業は、子供のうちから巧みに洗脳し、従順で扱い易い人間を育てるためのものになり下がっています。
いじめや自殺など、深刻な問題が発生した時にだけ、いのちの大切さを説いても、所詮は対症療法。
あまり意味がありません。

社会に出ても、同じです。
医療は、専門分野ごとに分断されていて、それぞれ身体の一部を臓器として扱うのみです。
その他、心理学、自己啓発、ボディワーク、スピリチュアル、栄養学、宗教、芸術など、見事に分断されています。

また、大人たちは仕事に追われ、日常に埋没し、いのちについて思いを馳せる心の余裕がありません。
物質的豊かさ、金銭的豊かさのみに目が奪われ、恩や感謝、礼儀作法や思いやりなど、目に見えないことは、つい軽んじる傾向があります。

私たちは、分断できません。
どこまでいっても、どこをとっても、ひとつのいのちです。
全体でひとつであり、部分であっても、それは全体の中にあって機能するものです。
本来は、分けて扱えるものではないのです。

難しいことを知る必要は、ありません。
かつての日本人がそうしていたように、日常の経験の中で、いのちが何たるかを学ぶ。
その上で、自分に与えられたいのちに感謝し、同様に他のいのちを尊重する。
それが、基本だと思います。

辛い痛みや不快な症状。
一刻も早く、何とかして欲しい、誰もが、そう思います。
だからと言って、それをさっさと治すのが必ずしもよいことだとは、私には思えません。
ただ治すだけなら、現代医療とあまり変わらない。

痛みや症状が、なぜ起こっているのか。
どうすれば、治るのか。
再発しないためには、何に気を付ければよいのか。

それらを伝えながら、いのちの仕組みの精緻さ、神聖さを教える。
痛みや症状の本当の意味をお伝えする。
自分のいのちにどう向き合い、いかに対話するかを一緒に考える。
体感的に、いのちの大切さ、かけがえのなさを学ぶ。
その過程で生じる気付きや学びを通じて、幸せに生きるきっかけを掴んでいただく。

それが、整体院のいちばん重要な役割だと私は考えているのです。

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